ニックネームが、かえって心理的な距離を生むことがある

ビジネスでニックネーム

個人事業主の方と交流していると、ニックネームで活動している人を見かけます。本名ではなく、愛称やニックネームをプロフィールに掲げ、SNSでもその名前で発信する。周囲の人たちも、当たり前のようにそのニックネームで呼んでいます。

きっと、親しみを持ってもらいたい、覚えてもらいやすくしたい、気軽に声をかけてもらいたい。そんな思いもあるのでしょう。

ニックネームを使うこと自体に、良いも悪いもありません。ただ、そんな様子を見ていて、ふと気づいたことがあります。

親しみやすさを生むためのニックネームが、かえって人との距離を感じさせることもあるのではないか、と。

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ニックネームで呼ばれている人を、私は何と呼べばいい?

私の名前を例とすると、「麻紀」という名前なので「まっきーと呼んでください!」と発信していたとします。

ところが、初めて会った人は、少し迷うかもしれません。

「まっきーさん」と呼べばいいのか。それとも「まっきー」と呼んでいいのか。

本人は「まっきーと呼んで」と言っているのだから、呼び捨てでいいのかもしれない。でも、初対面でいきなり呼び捨てにするのは、少し抵抗がある。その方にとって私が年下なら、比較的呼びやすいかもしれません。しかし、年上だったり、年齢が分からなかったりすると、なおさら判断に迷います。

私から直接「まっきーと呼んでください」と言われれば、まだ分かりやすいでしょう。(それでも私は、そのときの距離感によっては戸惑いますが)

けれど、今は必ずしも、名刺交換をして自己紹介をしてから知り合うわけではありません。SNSで共通の知人を通じてつながることもあれば、講座の受講者同士として何度か顔を合わせることもあります。

プロフィールや投稿を見て相手の名前を知る。周囲の人がどう呼んでいるかは分かっても、本人から呼び方を指定されたわけではない。そんな出会いも珍しくありません。そのとき、相手の名前がニックネームだけだったら?「みんなはそう呼んでいるけれど、私もそう呼んでいいのだろうか」

そんな迷いが生まれることもあるのではないでしょうか。

ニックネームが見せる「人間関係」

もうひとつ、気になったことがあります。

Facebookなどで、ある人が何人もの知人からニックネームで呼ばれている様子を目にすることがあります。

「まっきー、ありがとう!」「まっきーの話、すごくよかった!」「まっきー、またよろしくね!」

そこには、親しげなやりとりが並んでいます。それを見て、誰もが必ずしも「自分もその輪に入りたい」と思うわけではありません。ただ、自分はその人をニックネームで呼んだことがない。だから、同じようには呼べない気がする。そんな感覚が生まれることがあります。

誰かに拒絶されたわけではありません。仲間に入れてもらえないと言われたわけでもありません。それでも、すでにニックネームで呼び合う人たちがいると、その人たちの間には、ある種の親密な関係ができあがっているように見えます。すると、ニックネームは単なる名前ではなく、「この人とは、これくらい親しい関係です」という情報まで伝えているように感じられるのです。

もちろん、実際にどれほど親しいかは分かりません。昔からの知り合いだからそう呼んでいるだけかもしれませんし、本人が誰にでもそう呼んでほしいと思っているのかもしれません。それでも、外から見たときには、ニックネームが人間関係の輪郭を浮かび上がらせることがあります。

親しみやすい名前が、すでに親しい人たちの存在を感じさせる。ここに、少し不思議な逆転があるように思います。

名前の呼び方で困る女性

「誰でもそう呼んでいい」と「誰もがそう呼べる」は違う

本人がニックネームを使う理由は、さまざまでしょう。覚えてもらいやすいから。親しみを感じてもらいたいから。長年その名前で活動してきたから。どれも自然な理由です。また、本人としては「誰でも気軽にニックネームで呼んでいい」と思っているのかもしれません。

けれど、本人が許可していることと、相手が気兼ねなく呼べることは、必ずしも同じではありません。

相手には、相手の判断があります。年齢や立場を考えることもあれば、初対面での距離感を気にすることもあります。周囲の人たちが親しげに呼んでいるからこそ、今さら自分が同じ呼び方をしていいのか迷うこともあるでしょう。つまり、呼び方は本人の意図だけでは決まりません。

名前そのものに加えて、誰が、誰に、どんな場面で、どのように使っているか。その文脈によって、受け取られ方が変わるのです。

姓名という形式が持つ、意外な役割

そう考えると、ビジネスネームであっても、「姓+名」の形式を保つことには意味があるのかもしれません。たとえば「坂本マキ」という名前で活動していれば、初対面の人は「坂本さん」と呼ぶことができます。(本名ではないビジネスネームでも、姓名という形式があれば、ひとまず無理のない呼び方を選べます)

そこから関係が深まれば、「マキさん」と呼ぶようになるかもしれませんし、本人から「まっきーと呼んでください」と言われるかもしれません。

最初から親しい呼び方を共有するのではなく、関係性に応じて呼び方が変わっていく。そんな余地を残しておくことも、ひとつの考え方ではないでしょうか。

もちろん、ニックネームだけで活動することにも、それぞれの事情や利点があります。姓名の形式を使うことが、すべての人にとっての正解というわけでもありません。ただ、親しみやすさを大切にするのであれば、親しみやすい名前を掲げることだけでなく、初めて出会う人がどう呼べばよいか迷わずに済むことにも、目を向けてみたいと思います。

会話

名前は、親しみを生むだけでなく、距離もつくる

私たちは、言葉を使って人とつながります。けれど、言葉がいつも、意図したとおりに働くとは限りません。

親しみを込めて使ったニックネームが、ある人には親しみやすさとして伝わり、別の人には「自分はまだその呼び方をできる関係ではない」という距離感として伝わることもある。そこに、誰かの悪意があるとは限りません。名前を付けた人も、呼んでいる人も、見ている人も、それぞれ自然に振る舞っているだけかもしれません。それでも、受け取られる意味は一つではないのです。

自分がどんなつもりで言葉を使っているか。そして、その言葉が相手にはどのような意味を持ちうるのか。

その両方に目を向けてみると、普段何気なく使っている名前や呼び方にも、新しい発見があるのではないでしょうか。

人によって受け取り方が違うのはなぜ?

同じ言葉でも、人によって受け取り方が違うのはなぜでしょうか。言葉と認知の関係から、コミュニケーションのすれ違いを考えます。

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この記事を書いた人

約10年の舞台役者・ダンサーとしての経験と、コミュニケーション講師としての経験をもとに、認知言語学・自己呈示理論をベースにした企業向けコミュニケーション研修「シュプラノート」を主宰。話し手と聞き手の間に生まれる“ズレ”を言語化し、組織のコミュニケーションの質を底上げする研修を提供している。「表現コミュニケーション開発協会」共同代表。著書に「やばい」は思考停止か、それとも才能か(自著)ほか、共著2冊。TOKYO MXのビジネス情報番組にも出演。

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