知っていることを話すだけでは「教える」にならない――speak・talk・tell・teach・lectureの違いから考える

知っていることを話すだけでは教えるにはならない

「専門家なのに、説明が驚くほどわかりにくい人がいる」「知識は豊富なのに、初心者にうまく教えられない人がいる」。こうした違和感を持ったことがある人は多いのではないでしょうか。

知っていることを話すことと、相手に教えることは、本当に同じなのでしょうか。

今回は、英語の speak・talk・tell・teach・lecture という5つの単語を入口に、この問いを考えてみます。

目次

「話す」「伝える」「教える」は、同じではない

日本語では「話す」も「伝える」も「教える」も、場面によっては同じような言葉として使われます。しかし英語には、これらに近い意味を持つ単語がいくつも存在し、それぞれ役割が異なります。

英単語の使い分けを学ぶこと自体が目的ではありません。英語では区別されているのに、日本語では一つの言葉でまとめられてしまっているという事実そのものが、「話す」という行為の中に、実はいくつもの異なる側面が隠れていると、私は考えます。

speak・talk・tell・teach・lectureは何が違う?

英単語の違いを整理した資料を参照すると、それぞれおおよそ次のような違いがあるとされています。

speak:誰かに向かって一方向的に話すことを指します。プレゼンテーションのように、話し手が主体となって発話する場面で使われる単語です。 allabout

talk:それに対して双方向で話し合うというニュアンスを持ちます。グループやペアで意見を交わすような場面に近い単語です。 allabout

tell:情報そのものを相手に伝達することを指します。道順を尋ねるときに使うべきなのはspeakでもtalkでもなくtellだ、という整理がされています。 allabout

teach:上記の単語とは少し性質が異なります。教える側が教わる側よりも知識や技術を持っているという前提のもと、時間や労力をかけて知識や技能を身につけさせる行為を指すとされ、単に情報を伝えるだけのtellとは区別されています。 dmm

lecture:あるテーマについて、大学の講義や専門的なセミナーのように、学習を目的とした内容を語る行為を指す単語です。 mynavi

大切なのは、これらを「speakよりtalkの方が高度」「tellよりteachの方がレベルが上」というような一直線の段階として見ないことです。それぞれは目的も文脈も異なる、別々の行為だと捉えるほうが実態に近いでしょう。

教えると伝えるの違い

「知っていることを話す」だけでは、なぜ教えられないのか

ここから本題に入ります。teachという単語が示すように、教えるという行為には、話し手が知識を持っていること以上の何かが必要になります。

経験を積んだ人ほど、自分がかつてどこでつまずいていたのか、初心者が何を「当たり前」だと思っていないのかを、忘れてしまいがちです。これは知識量の差というより、前提となっている知識や経験そのものが違うという問題です。話し手にとっての「当たり前」は、聞き手にとっての「当たり前」とは限りません。

実際、教え方についての考察でも、教えるのが上手い人と苦手な人を分けるのは、話術や知識の深さではなく、相手が今どこでつまずいているのかを察知できるかどうかだ、という指摘があります。教える力とは、内面の能力というより、相手をどれだけ見ているかにかかっているというわけです。

教えるときに必要なのは「自分の知識」だけではない

つまり教えるという行為には、

「私はこれを知っている」→「だから、これを説明する」

という話し手側の理屈だけでなく、

「相手は何を知っているのか」→「何が前提になっているのか」→「どこでつまずくのか」→「何をどう説明すれば理解しやすいのか」→「次に何がわかればいいのか」

という、相手側の状態を想像する視点が必要になります。「たくさん教える」ことと「適切に教える」ことは、同じではありません。専門家にとっては簡単な説明でも初心者には説明不足になることがあれば、逆に初心者には不要な専門情報を大量に与えてしまうこともあります。

「説明したのに伝わらない」は、情報不足とは限らない

「もっと詳しく説明すれば、いずれ伝わるはずだ」と考えたくなりますが、話し手と聞き手がそもそも異なる前提を持っている場合、説明を増やすだけでは、前提そのものの噛み合わなさは解消されません。

これは、説明すればするほど逆効果になるという極端な話ではありません。ただ、「伝えた」という事実と「伝わった」という結果は、別のところで成立しているということです。話し手が発した言葉と、聞き手がその言葉から実際に何を理解したかの間には、常にズレが生じる余地があります。このズレに気づかないまま説明を重ねても、噛み合わない部分はそのまま残ってしまいます。

教える男性

メールでも、「知っていること」と「伝えられること」は違う

この構造は、対面のやり取りだけでなく、文章でも同じように起こります。自分の頭の中では整理されているはずのことでも、それを相手が理解できる形に変換できているとは限りません。

何を、どの順番で、どこまで、どの言葉で説明するのか。これは単なる文章力の問題というより、頭の中でわかっているつもりの内容を、相手が追える形に組み替えられているかどうかという問題です。書き手にとって自然な流れが、読み手にとっても自然だとは限りません。

講義することと、教えることは同じなのか

ここでlectureとteachの関係を考えてみます。lectureはあるテーマについて講義する行為であり、teachは知識や技能を教える行為です。この二つは重なる部分がありますが、同じものではありません。 webliomynavi

たとえば、60分間、専門的な内容を一方的に講義したという事実だけでは、参加者が実際に何を理解したのか、どこまで学べたのかまではわかりません。lectureという形式が成立していることと、teachが成立していることは、別の話だということです。

これは、一方通行の講義そのものが悪い、双方向でなければ教えることにならない、という結論ではありません。講義という形式が、教えるという結果を自動的に保証するわけではない、というだけのことです。

「教える」の視点を持つと、コミュニケーションはどう変わるか

ここまでの話をまとめると、教えるという行為の起点は、「自分が何を話したいか」ではなく、「相手が何を理解する必要があるか」だと言えます。

これは特別なテクニックの話ではありません。相手の前提を確認する、相手がどこでつまずいているかを観察する、説明の順番を相手の理解の流れに合わせる——こうした一つひとつは地味なことですが、起点を自分から相手に移すという発想そのものが、教えるという行為の土台になります。

まとめ

知識が多いことと、教えることは同じではありません。話すこと、伝えること、講義すること、教えることには、それぞれ異なる側面があります。

そして教えるという行為では、自分が何を知っているかだけでなく、相手が何を前提としていて、どこでつまずき、何が理解できれば次に進めるのか——相手側の認知の状態を想像する視点が欠かせません。

「教える」「伝える」「理解する」の間には、話し手と聞き手それぞれの認知や前提の違いがあります。シュプラノートでは、こうした「認知と言語のズレ」に着目し、企業・団体向けの研修・セミナーを行っています。

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参考資料

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この記事を書いた人

約10年の舞台役者・ダンサーとしての経験と、コミュニケーション講師としての経験をもとに、認知言語学・自己呈示理論をベースにした企業向けコミュニケーション研修「シュプラノート」を主宰。話し手と聞き手の間に生まれる“ズレ”を言語化し、組織のコミュニケーションの質を底上げする研修を提供している。「表現コミュニケーション開発協会」共同代表。著書に「やばい」は思考停止か、それとも才能か(自著)ほか、共著2冊。TOKYO MXのビジネス情報番組にも出演。

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